相撲を始めるきっかけとなったのは、
長野県上松町立上松小学校1年生の時に隣町の木曽町で開かれた相撲大会に出場した際、初めて挑戦した相撲で自分より体の小さな相手に負けたことである。
これをきっかけに負けず嫌いの魂に火がつき、地元の木曽少年相撲クラブに入り相撲一筋の人生が始まった。
小学校では5年生の時に全日本小学生相撲大会で2位となった。
木曽町立福島中学校に進学すると3年生で全国大会ベスト8となっている。
木曽青峰高校在学中には国体少年の部で3位となり、東洋大学法学部企業法学科に進学した。
東洋大学時代は力強い突き押しを武器に、個人タイトル15冠、4年生の11月に学生横綱、12月にアマチュア横綱となり、現行基準では日大出身の元幕内・市原(清瀬海)、同じく日大出身の幕内・遠藤に続き3人目となる幕下10枚目格付出の資格を得た。
当初はプロ入りする意向はなくアマチュア相撲の強豪・和歌山県庁への就職が内定していたが、「部屋を再興したいので、力を貸して欲しい」と11代出羽海親方(元幕内・小城ノ花)の説得もあり、2015年2月12日に出羽海部屋へ入門した。
2015年3月場所で初土俵。四股名には地元上松町から望める御嶽山に出羽海部屋の「海」つけた「御嶽海」に決まった。
(ただし、「御嶽」の読みは、山は「おんたけ」と読むのに対し、四股名は「みたけ」と読む)。